コロナの中の葬儀とは。
庭のローズマリーの花
今朝の寝室の気温は9℃。ベットから中々出られませんでした。
きょうは友引。葬儀は避ける日です。
コロナ感染者が、少なくなっても
オミクロン株の市中感染者が出ては
まだまだコロナ前の生活には戻れない
きょう、この頃です。
夕方、親戚のお通夜へ参列し、いす席の並びが
コロナ禍であることを物語っていました。
お通夜のお経の後に僧侶が
故人の人柄と共に戒名の由来を長々と話して下さった。
明日の告別式では身内だけであって語るべきは今なのか?
仏教の伝来と布教や少子化によって寺の行く末に至るまで
熱心に語られた。20分ぐらい?
人生100年とはいいますが、
ある程度の年齢になれば喪主世代でさえ定年後。
仕事絡みの弔問は少ない。
ましてコロナでは故人の友人会葬はほぼ無いかも・・・
いす席が間を開けて減らしてはあっても
空席が目立つこと、目立つこと。
映画じゃないけど「老後の資金がありません」を地で行く感覚…
生花やカゴ盛りをどうするか?世話好きが仕切って決めるじゃなくて
電話でどーする?誰が出す?と沈黙が続く内容で重かった。
女性のイトコは「喪主に迷惑掛けるからネットでポチっと決めた」と
実にあっけらかんとのたまった。
なあんだ、そうすればよかった。私の父は下のほうの兄弟だから
伯父伯母の関係者より出過ぎた事は出来ないと遠慮してたのに・・・
コロナ禍では葬儀は家族と親戚だけだから必要ないなんて言葉を
真に受けていた自分であった。
実に、勉強させていただきました。
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